山田純嗣 / Junji Yamada

名画の空間構造を読み解き、実際に石膏やジェッソ、針金、樹脂粘土や木粉粘土などで空間的な立体を制作。それを写真に撮影し、版を起こして定着したイメージに細密なドローイングを銅版で重ねるという「インタリオ・オン・フォト」と呼ぶその技法でストイックさとポップさを併せ持つ独自な作品世界を展開する。


(21-17) VASE OF FLOWERS
ポリコートパネルに印画紙、樹脂(インタリオ・オン・フォト)
30×21.5cm、2021年

【Artist Statement】

花と花瓶

 シモーネ・マルティーニの《受胎告知》は、私にとって特別な作品の一つだ。フランボワイヤン式の教会堂のファザードのような、華麗なゴシック式の金の額縁が目をひくトリプティク(三連祭壇画)である。大学2年のとき、私はこの作品をヒントに作品を作った。当時の愛知芸大の油画専攻は、1,2年時といえば、毎回裸婦モデルを描く課題ばかりであったが、大学2年の半ばになって初めてモチーフのない課題が出た。私はそれまで避けてきた主体的に描くことに向き合わざるを得なくなり困り果てた。「描きたいものがない。でも絵は好きだ。でも、絵って何だろう」と考えるようになった。そこで思い出したのがこの《受胎告知》だった。昔見た初期ルネサンスの画集の中で一際目立って印象に残っていたこの作品は、なぜ他と違っていたのだろうか。画集の絵というのは、通常、絵のみを切り取っているので、そこに絵そのものの物質性は感じない。しかしマルティーニのこの作品は、額縁まで載っていて、画面の中には額縁の影もはっきり写っている。これは平面なのか、立体なのか。絵はイメージである以前に物質なのだ。そんなことを思ったのだろう。絵が描けなくなっていた私は、それをきっかけにゴシック式の額縁のレリーフを作ってその課題を乗り切り、以降絵の周縁から絵について考えるようになった。私の中の絵と額縁とは、実際の絵と額縁だけでなく関係としての話であり、額を使用しない近・現代絵画でいえば、ホワイト・キューブの空間が額縁になるだろうし、フレスコ画なら聖堂が、洞窟壁画なら洞窟、アースワークなら大地、東洋の絵なら、軸や屏風、衝立、ふすまのある空間が額縁なのだ。
花は絵、花瓶は額縁。花をモチーフにした作品を作りながらそんなことを考えた。

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