荒木由香里 / Yukari Araki
既存の何かであるものを素材に、あらゆる物を手繰り寄せ、それぞれの特徴と美を抽出し、着彩をしないでアッサンブラージュする。作品の大小のサイズを問わず、彫刻的視点を用いて様々な物を空間的に再構築してインスタレーションする。
主な経歴
- 1983 三重県生まれ
- 2005 名古屋芸術大学美術学部造形科造形選択コース卒業
- 2006 同研究生修了
- 主な個展
- 2024 Talkative happy colors ( GINZA SIX 蔦屋書店 / 東京)
- 2023 よりよき世界のかけら (AIN SOPH DISPATCH / 名古屋)
- 2022 饒舌(で雄弁)なカラー (SYP GALLERY / 東京)
- 2019 昼間の星 (佐久島 / 愛知)
- 2016 眼差しの重力 (LOKO GALLERY / 東京)
- 2012 APMoA Project ARCH 何ものでもある何でもないもの(愛知県美術館 / 名古屋)
- 主な展覧会
- 2023 間 The space between ( RUM 21 / Vejile ,Denmark)
- 2023 美の予感2023 ―象・彫・刻・塑―〈彫刻〉(高島屋美術画廊 / 東京、京都、大阪、愛知、横浜、新宿)
- 2023 オマージュ TAKARAZUKA-春 プリマヴェーラ(宝塚市立文化芸術センター / 兵庫)
- 2020 富士の山ビエンナーレ2020 (旧三嶋屋酒店 / 静岡)
- 2017 International workshop “DRAWING” inHannover (Galerie Rode und Lanfer / ハノーファー、ドイツ)
- 2016 2015年度魅力発信事業成果展 リフレクション (岐阜県現代陶芸美術館 / 岐阜)
- 2015 侘寂島(HANGAR H18 / Brussels)
- パブリックコレクション
- 佐久島 (愛知)
- Fondation Thalie (Belgium)
- アロフト東京銀座 (東京)
- 受賞歴
- アーツチャレンジ2009 入選
- 群馬青年ビエンナーレ2010 入選
- 令和2年度愛知県芸術文化選奨文化新人賞
「Red」2023, mixed media / 画像右から
[R]H34×W8.5×D21cm、[L]H18×W8.5×D21cm
[R]H45.5 × W8.5 × D21 cm、[L]H30 × W8.5 × D21 cm
[R]H34 × W9.5 × D2 1cm、[L]H 18.5×W9 × D21cm
Photo:尾崎 芳弘 daruma
【Artist Statement】
私の制作は、物、空間、言葉と出会うことから始まります。身の回りにある装飾品や日用品、玩具などかつて何かであったもの、誰かの想いや考えが反映されたもの、場所を旅して時を経たものなど、色、素材、用途、先入観、イメージ、全て受け入れその素材を寄せ集め、出会えた感動を大切に再構築し、新たな意味を手繰り寄せて物や空間と対話するように制作します。手法としてはアッサンブラージュです。着彩はせずにそれぞれの物が持つ色と特徴と美を抽出し、色の力と色により集まったものを空間表現するように配置して再構築します。色と物、色と世界、物と世界。その関係性を探りながら、そのものの価値を見いだし、新たな価値や視点を発見すること。また、彫刻的な塊としての強度や繊細なささやかな表情を探ること。素材を探し集めることも制作で最も重要な行為で、同じ色で集めて組み合わせるモノトーンシリーズを2010年ごろから継続して取り組んでいます。
土地や国や年代により集まるものは違います。私自身が生きて変化し出会い作品も変化します。
いろんな物事の本質を知りたいと常々思っていて、それは一般常識やイメージや先入観ではなく、自身で見て知ること、目の前に在るものを受け止めること、その上で新しい視点や価値を見出せるきっかけとなるような作品を目指しています。
【TEXT】
「煌めくキメラ―荒木由香里のレディ・カラード・スカルプチャー」石崎尚(愛知県美術館学芸員)
個展会場で天井から吊り下げた小さな作品を手に取ると、「ここで吊ってもいいし、こっちの金具につなげてもいい」と、くるりとひっくり返して見せてくれた。その時筆者は、吊り下げる形式での展示が多い荒木由香里の作品の、その浮遊感とも言うべき特質を改めて認識した。作品の天地が変更可能ということは、おそらく様々な向きに回転させながら物体を繋ぎ合わせて、アッサンブラージュが作られていったのだろう。
一方で、ハイヒールのシリーズに代表されるように、明確に天地が決まっている作品も存在する。靴の造形に寄り添うように、いくつもの細長い柱が導入されて作品の重心を上に押し上げ、結果として中空の多い建築的な構造が生まれている。
冒頭の小品は吊り下げることで、そしてハイヒール作品は重さを支える構造をむき出しにすることで、重力のありさまを鮮やかに可視化する。その点ではどちらの系統も同根の発想と言えるだろうか。素性の異なるモノたちは、荒木の作品に組み込まれることで本来の用途とは異なる第二の生を生きる。
彼女は普段から作品に使えそうなネタ(身の回りの既成品)を集めていて、近頃では荒木が好みそうな不要品を持ってきてくれる人もいるらしい。こうして集められたモノたちは、それぞれピンクや青などに色分けされてアッサンブラージュに使われることとなる。しかし、その出来上がった作品に、色の統一感といったものは意外なほどない。むしろその外見は、光沢、マットな質感、透過性、光の反射…とちぐはぐな印象を与える。アッサンブラージュだから多種多様なのは当然のこととしても、あえて一つの色でまとめることにより、その素材同士の異質さは強調され、キメラ的な印象はより強化されることになる。
しかし、だとしても作品の出発点にあるのは、それが何色のものとして分類されているかという色分けの儀式であり、荒木は作品に自ら色を着けるのではなく、商品として流通する物質の色を受動的に分類する役に徹するのだ。今日、雑貨であれ洋服であれ、製品というものは色だけを変えたものを何種類も取り揃えて初めて、商品として流通可能となるようだ。あたかも、ヴァラエティに富んだ色数を揃えて選択肢を増やすことが善であるかのように(しかしそれは本当に選択肢なのか?)。
荒木の作品をレディ・カラード・スカルプチャー(既に着色された彫刻)と呼びたいのはこうした点においてである。そして、色彩が作品の重要な要件にもかかわらず、作者が行うのは着色ではなく選別であることによって、荒木の作品は色彩の存在論的な問いを発する。かつて作るという行為に対してレディメイドが投げかけた問いを、色とは何かという形式で変奏するのである。
既成品の色に従うという点で、拾ったプラスチック片を色相に従って並べたトニー・クラッグの作品を思い浮かべる者もあるかもしれない。彼の場合は、プラスチックという最も20世紀的な素材に限定することで、作品がある種の文明批判的な性格を帯びた。荒木の場合は物質がなんであるかを問わず、あらゆるものに同様に色を着けてしまう、21世紀の我々の嗜好を浮かび上がらせる。彼女の仕事は煌びやかな印象を与えるためか、しばしばファッション的ともデザイン的とも捉えられがちだという。だが、むしろその本質は、色に対する現代社会の強迫観念をあぶりし、色という不確かなものに我々が寄せる無意識的な信頼を「漂白」するような機能なのだ。