伊藤正人
2014/01/18(土) 〜 2014/02/01(土) 13:00〜21:00 木曜休
Artist Comment
ひとつの美術作品のありかたとして、景色そのもののようなあらわれをおもうことがあります。展示してある作品があまりに物静かすぎてひとの目にふれないことも、作品自身が過度に主張しすぎることも、どちらも自然性と不自然性をかねそなえていて、あるいはそこで作品に対する誤解や矛盾がうまれていくこともふくめて、作品にまつわるあらゆる状況や態度をおしなべたところにあらわれる“景色そのもの”です。
ここでいう“景色そのもの”とは、美術作品に限られたことではありません。たとえば毎日歩いている道の消失点あたりの、建物と建物のあいだに断片的な山のすがたがみえていることに気づいていなかった、とか、川面に反射した光が部屋の天井にさしこんで、それが季節によってすこしずつゆらめきの角度をかえていることにようやく気づいた、とか、あるいは本を読んでいるときに見知らぬ言葉と出会って、意味や読み方がわからなくても、前後の脈絡をたよりにしてその言葉をやりすごすこともできてしまうという、そのような自然と不自然のまじりあった景色そのものが、美術のなかでもなにげない景色のなかでもあらわれつづけているようにおもいます。
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景色というものをひとつの言語のあらわれとしてかんがえてみると、これまでじぶんがつみかさねてきた景色と言葉のかかわりについて、景色のほうから言葉へ流入しているのか、あるいは言葉のほうから景色へ流入しているのかという問題は、そもそも思いちがいであったかのように、作品そのものはあくまで水性であること、景色と言葉は汽水のような状態として景色そのものになっていくのではないかと、最近ではおもっています。
汽水域(きすいいき)・・・淡水と海水が混在する河口や湖のこと